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PJ: 穂高 健一

浅草歴史・文学散策(4)=浅草寺¬・新奥山
2012年02月09日 08:07 JST


浅草『新奥山』には、20数個の塚・碑がある。かつては国民的な喜劇人、役者、無声映画の弁士たちの活躍を記録し、残している。(撮影=穂高健一、1月10日、浅草寺・新奥山) 

【PJニュース 2012年2月9日】江戸時代の中期から、浅草寺・境内の西がわ一帯は「奥山」と呼ばれていた。見世物小屋や茶店などが数多くならび、大道芸などが演じられる、庶民の娯楽の場だった。昭和初期まで続いてきた。TV文化が発達する以前まで、浅草・奥山や六区は大衆娯楽のメッカだったともいえる。

五重塔の近くには、童謡「鳩ぽっぼの歌碑」がある。作詞家の「東くめ」が同寺で、子供の視点から作詞し、瀧廉太郎が作曲したもの。日本初の口語体の童謡だといわれている。不思議に、本ものの鳩が多く集まって遊んでいる。

西参道へと抜ける道筋には、昔懐かしい縁日風の露店がつづく。振り返れば、真後ろには東京スカイツリーが巨大な姿できつ立している。

『新奥山』には20数個の塚・碑がある。最初に目に入ったのは、瓜生岩子(うりゅういわこじょし)女子の碑である。

台東区教育委員の案内板によると、「明治元年(1868)会津戦争で孤児となった幼童の教育に尽力したほか、(中略)、明治22年(1889)貧民孤児救済のため福島救済所を設立するなど、社会事業の推進に努めた」と記されている。13年の大河ドラマは、会津戦争が背景になるだけに、注目される人物像になるかもしれない。

捕り物小説の生みの親ともいわれる、岡本綺堂(おかもと きどう)を記念した、自筆の文字「半七塚」がある。高さ1mほどの自然石である。『半七捕物帳』 (はんしちとりものちょう)は60篇以上の作品。実在する人物に思えるほど、リアルな描き方がされている。時代小説ファンだという夫婦連れが訪れていた。

土が小高く盛られているのが、戸田茂睡(1629-1706 江戸中期の国学者,歌人)の墓所・記念碑だった。

新奥山の一角には戦前戦後に活躍した、喜劇人たちの碑がある。

隣り合うのが、映画弁士塚である。徳川無声など無声映画(音声がなく映像だけ)時代の、名弁士を記念するもの。刻まれた名前は100人を超えている。碑銘は鳩山一郎である。
最近でも無声映画は上映されている。映像だけで音までも表現できる、と語るファンもいる。他方で、若手弁士も活躍している。【つづく】

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PJ 記者