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PJ: 穂高 健一

浅草歴史・文学散策(5)= 江戸歌舞伎のゆかりの地
2012年02月09日 08:10 JST


劇聖と謳われた「九代目市川團十郎」だけに、舞台姿には見るからに圧倒される。(撮影:穂高健一、1月13日、東京・浅草) 

【PJニュース 2012年2月9日】浅草寺の五重塔は、942年の創建から、何度も火災で延焼してきた。第二次大戦のさなか1945(昭和20)年の東京大空襲でも、戦災で焼失している。1973(昭和48)年に、現在の塔が浅草寺本堂の西南に再建された。最上階の五層にはスリランカ伝来の仏舎利が納められているという。

五重塔を取り囲むように、歴史的な興味深い史跡が数多くある。商売繁昌を祈願する人が多い、「銭塚地蔵尊」は紅い幟(のぼり)が目立つ。四角い石塔の下には「寛永通宝」が埋められているといわれている。

浅草は、江戸歌舞伎のゆかりの地である。本堂の裏手に、厳つい姿で迫力がある像は、名優の「九代目市川團十郎」である。1919(大正8)年に造立されたが、戦時の金属供出で取り壊された。現在の像は、1986(昭和61)年に、12代目市川團十郎の襲名のときに再建されたもの。

隣り合うのが「針供養塔」である。
現代の婦女子は、あまり針で裁縫をしない。それでも毎年2月8日には、「針供養」が営まれ、大勢の人出がある。折れた(使用済み)針を豆腐に刺して感謝する行事である。なぜ、豆腐なのか。諸説あるようだが、酷使した針を柔らかく包み込み、供養する意味合いらしい。地域によっては、餅、コンニャクなどもあるようだ。

浅草出身の小説家・劇作家である「川口松太郎」の碑がある。昭和60年に建立された。『生きるということは むずかしき、夜寒かな』と刻む。まさにその通り、と句に共鳴する人は多いのではなかろうか。

おなじく浅草出身の「久保田万太郎」の句碑には、『竹馬や いろはにほへと ちりくに』 と刻む。昭和40年に建立。一読では解りやすいような、深読みすれば解りにくい名句だ。

明治から戦後に活躍した歌舞伎役者である「市川猿翁」(いちかわえんおう)の句碑には、『翁の文宇まだ身ににそはず 衣がえ』と彫られている。昭和42年に建立。 孫団子に三代目猿之介を譲り、みずから猿翁を襲名している。

俳誌「ホトトギス」の俳人だった、「中村吉衣文」の句碑がある。故虚子に教えをこいた。『女房も同じ氏子除夜詣』と詠む。昭和28年に建立した。

「花塚碑 」は「濁流(にごりりゅう)」の花道の師である、笠翁斎乱鳥の死を悲しんだ弟子たちによって建てられた花塚である。1804(文化元)年に門人たちが建立した。昭和31年に観音堂の裏手より移転してきた。

「粧太夫歌」(よそおいだゆう)の碑は、文化13年に建立されたもの。粧太夫は吉原の遊女で、半松楼に仕え、書を中井薫堂に学んだ。『ほのぼのと明石の浦の朝霧に島かれゆく船をしぞ思ふ』。この碑文は柿本人麻呂の歌を万葉仮名で記したものである。

「初代花柳寿輔略」の碑には、『雷は田町をよけて鳴りわたる』の句を刻む。昭和44年 に建立した。
1839(天保10)年に振袖師の第一歩を踏みだす。29才にして花柳壽助(後に、輔)を名乗った。その後、振付の第一人者として半世紀。その作品は1500種を超え、「戻橋」「舟辯慶」などは不滅の傑作と讃られているという。

ユニークなのは、「こち亀」の碑である。 葛飾区・亀有出身の秋本治氏原作の漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の連載1000回を記念して建立された。碑文にはテーマの一つ「友情はいつも宝物」の文字が記載されている。平成16年に建立。

これら大半の文学碑が、浅草神社の境内の一か所にまとめられている。一つひとつを丹念に観ると、それぞれに味わい深いものがある。【つづく】

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記者HP:穂高健一ワールド

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